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センメルヴェイス・イグナーツ
(1818-1865)
「母親たちの救世主」と呼ばれるハンガリー人天才医師
コロナウイルスの時代に最も大切な規則は正しい手洗い方です。
手洗いは最近では もちろんのことですが、19世紀後半になるまでは病院でも一般的ではなかったようです。
センメルヴェイスはブダ(現ブダペストの一部)に生まれ、大学を卒業してからウイーン、そしてハンガリーの首都でも活躍しました。
目に見えない細菌があることを医師たちも知らなかった時代に、彼が勤務していた病院には、出産後、女性たちの死亡率が高かったと言われています。センメルヴェイスは、男性医師も働いている病棟では、助産婦だけが働いている病棟よりはるかに多くの母親が亡くなるケースが多いことに気付きました。男性医師は死体を解剖実習し、助産師はしなかったからだったという状況でした。センメルヴェイスは、解剖実習の後、適切な消毒の欠如がこの問題の原因であると疑っていました。
このため、1847年に彼の指導の下、産科医が次亜塩素酸カルシウムで手を消毒することが導入されました。この結果として、産婦の死亡率を劇的に下げることができました。
センメルヴェイスはこの発見を科学論文で発表しました。 しかし、医療関係者たちは手洗いの手順を受け入れず、嫌がらせや反対を繰り返しました。自分の病院で成功をおさめたのにも関わらず、彼の意見が受け入れられることはありませんでした。
1855年にハンガリー最大の医科大学の教授に任命されましたが、精神状態は徐々に悪化しました。1865年に最終的に精神病院で亡くなりました。
日本には、センメルヴェイスの胸像は東京・広尾にある日本赤十字社医療センターに設置してあります。
ブダペスト医学大学がセンメルヴェイスの名前から名づけられ、最近ここで勉強している日本人留学生の人数も増えてきます。