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フェルトード村のエステルハージ宮殿
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エステルハージ公爵

ハンガリーの最も豪華な宮殿は18世紀の大貴族エステルハージ・ミクローシュ公爵の依頼で建てられたエステルハージ宮殿です。ブダペストから190km、ウイーンから100km離れ、フェルトード村に位置します。
エステルハージ公爵は歴史上、王様のように、ハンガリー人で最もお金持ちの一人だったかもしれません。
オランダのライデン大学やウイーン大学で学んだ、知識が豊富な人物でした。青年時代にはマリア・テレジアの軍隊に入り、兵士としての英雄的な行為を称えられ45歳で元帥に任命されました。
軍隊での活躍が終わって、自分の夢を実現するように、ハンガリーのフェルトード村で豪華な宮殿の建設をはじめました。フランスのVersailles宮殿のような感じで、126部屋がある華麗なバロック様式の建物が、エステルハージ家の住まいとなりました。当時、村の名前は「エステルハーザ」でした。
エステルハージ公爵は音楽ファンで、(自分でもバリトンという弦楽器を弾いて)、宮殿は活発な音楽生活の中心となり、オペラ座、管弦楽団、人形劇場が開催されました。

ハイドン

エステルハージ家の楽長(現在でいう音楽監督)として勤めていた音楽家はヨーゼフ・ハイドンでした。ハイドンは24年に渡ってこの宮殿で仕え、エステルハージ家の日常的な娯楽のためにたくさんの曲を作曲し、コンサートとオペラを自分で指揮し、管弦楽団のメンバーやオペラ歌手の仕事に責任をもっていました。ここで作曲した作品(オペラ、交響曲など)は数えきれないほどです。途中、徐々に西ヨーロッパでもハイドンの人気が上がり、外国からの依頼も増えました。エステルハージ公爵は寛容な人物で、ハイドンに別の仕事に使う時間を許したといわれています。このように、例えばスペインの依頼で作曲された弦楽四重奏曲「十字架上のキリストの最後の7つの言葉」もここで生まれました。
エステルハージ宮殿を訪問した大切なゲストも多く、例えばマリア・テレジアも訪ねたことがあります。「本当のオペラを楽しみたい時にはエステルハーザへ行く」と語ったそうです。そして、ヨーゼフ2世の戴冠式から個人的な交流があったゲーテも来たことがあります。
現在はフェルトード村のエステルハージ宮殿はコンサート、フェスティバルの舞台としても利用され、ハンガリーの最も人気のある見所のひとつです。
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